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相手に気持ちが伝わらない

相手に気持ちが伝わらない

 どんなに努力しても、相手に伝わらないこともある。

 このとき、「こともある」と書いて、「ことが多い」というふうに書き直したほうがいいと思った。

 どんなに善意の気持ちでやっていても、相手には、相手の見方、考え方がある。
 自分の見方、考えた方に応じた受け止め方をする。

 自分が100の善意を発揮したとしても、相手に伝わるのは、1かもしれない。としたら、自分が一生懸命になっても、99は無駄になってしまう。

 ほんとうは、自分の善意が無駄ということはない。

 けれども、相手にとっては、どうなのか。
 自分では、善意であっても、相手には、それが「善意」とならないこともある。
 場合によっては、それが押しつけになっていることもあるだろうし、実際にはそうでなくても、相手がそういうふうに受け止める可能性もある。

 できるなら、自分の善意は善意として、相手の心に届くにこしたことはない。

 では、どんなときが、相手の心に届きやすいのだろうか。

 やっぱりこれも、「自分中心」だ。

 自分の“感じ方”を基準にしたほうが、適切さの精度は高いだろう。

 無理してやっていること。我慢してやっていることは、相手に理解されない可能性が高いということだ。

 例えば、我慢してやっていると、どんな表情になっているだろうか。
 満足そうな表情、嬉しそうな表情をしているかどうか。

 もし、そうでなければ、相手は、やってもらっているにも関わらず、
「どうせやるんだったら、そんなイヤな顔してやるんじゃないよ」
 と言いたくなっているだろう。

 当然、感謝されることはない。

 多くの人が、つい、
「あの人は、要領がいい」
「あの人は、たいしたことはしていないくせに、やっているふうに見せるのがうまい。私のほうが、あの人の2倍やっている」
 といった不満を抱きがちだ。

 すでに、相手に対して、
「私のほうが、2倍もやってあげている」
 というふうに考えているとき、不満を抱いているわけだから、実際にやっているときも、不満顔でやっているに違いない。

 相手に自分の善意が通じるのは、
「やるとしたら、イヤな顔をしない。気持ちよくやる」
 案外、こんなところにあるのかも知れない。

 だからこそ、「自分ができる範囲」「自分が納得できる範囲」「自分が満足できる範囲」のほうがいいということだ。

 この範囲だったら、自分自身も、快くできる。

 自分が満足できるそんな善意であれば、結局、相手のためではなくて自分のためなんだと思う。
 ついでに言うなら、自分が「気持ちよくやっている」としたら、その気持ちよさの“実感”が、同時に、自分の運をよくしていくから、やっぱり、自分のためである。

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