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どこに基準を置いているか 2

どこに基準を置いているか 2

(2)

 今や、学校の先生は、生徒を指導する前に、先生たち自身が悩んでいて、自分の問題を解決できないでいる、ということが少なくない。

 先生たちも、自信をもてずに指導している状態だ。

 一般常識や社会通念からすれば、学校には行くのが当たり前。
 行くのが当たり前の学校に、「行くことができなくなった」という捉え方をすれば、
「自分は、学校にも行けない落伍者だ」
 という烙印を自分に押してしまうしかないだろう。

 このとき親も、自分の子供をそんな目でみれば、子供はいっそう、自分を落伍者だと思い込むようになってしまうだろう。

 けれどもそれは、この社会を基準にした見方である。

 いまの社会は「競争社会」である。

 競争社会の中で、勝ち残れなければ生き残れない、ということを基準にすれば、確かに落伍者だということになるだろう。

 しかし、そんな自分の基準を疑ってみたことはあるだろうか。

 争いたくない。
 争うのが怖い。
 奪い合うのは嫌だ。
 張り合いながら自己主張するのは怖い。

 そんな気持ちが強い人であればあるほど、いまの社会の中で生きていくことを「つらい」と感じるだろう。

 では、こんなふうに感じるのは、間違っているのか。

 そんな社会だからこそ、強くなければならない、と自分を叱咤すべきだろうか。

 それとも、そんな社会は嫌だと言えることのほうが「健全」なのだろうか。

 社会がそうであるなら、私たちはそんな「社会に合わせて順応すべき」なのだろうか。

 社会が生きづらいとしたら、それに合わせて生きていこうとするよりも、
「そんな社会は嫌だ」と言える自分のほうがまだ、健全な心の持ち主なのではなかろうか。

 社会がそうだからといって、我々が一方的に、社会に合わせてそれに順応すべきものではない。

 そんな不健全な社会と戦えといっているわけではない。
 戦う必要はない。

 けれども、社会が不健全であると思うのなら、そんな社会は嫌だと感じる「自分の健全さ」を認めてあげることならできるだろう。

 不健全な社会や悪と戦うよりも、まず、自分自身が、自分の健全さのほうを認め信じることのほうが先であると、私は思うが、いかがだろうか。

 もちろん、こんなふうに私が言うのは、不健全な社会であっても社会に悪が蔓延っているとしても、自分の健全さを大事にしながら、自分を守る方法があるからだ。

 それが「自分中心」である。
 自分中心になれば、自分を守ることができる。 (おわり)

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