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したい、したくない

したい、したくない

 今年まで私自身が浄化期なので、特に綿密に自分の言動に焦点を当てて物事を捉えています。
 昨年から実験していることは、さらに「感情を基準にする」ことです。
 自分がそれを「したいのか、したくないのか」。

 例えば「したくない」のであれば、その割合はどうなのか。
「したい」のであれば、その「したい」の割合はどうなのか。

 すぐに、自分のその「したくない」を叶えることができるのか。
 すぐに、自分のその「したい」を叶えることができるのかどうか。
 その見極めも大事です。

 自分の「したくない」を叶えるのに、本当は1年ほどかけて少しずつやるべきことを、すぐに明日にでも叶えたいという欲求のしかたをすれば、自分自身がつらくなるでしょう。

 これを実行しつつ、ふと気づいたことがあります。

 自分を見ていると、「したくない」は、比較的容易に気づきます。

 気づいたら、「しなくない」という願いを叶えるために、早めに手を打つ。
 これが大事です。

「したくない」ことは、我慢すればするほど、解決することが難しくなっていきます。トラブルも多くなるでしょう。

 例えば、相手のために我慢してやっていると、我慢していればしているほど、それを断ったとき、相手に恨まれることになります。

 親切にしてやったのに、と思うかも知れませんが、相手はそれを理解してくれません。
 頭では理解できるでしょう。
 けれども、感情が、それについていかないのです。
 なぜなら、そこにはすでに、「依存」が発生しているからです。

 背負って歩いてくれていたのに、ここから自分で歩いてください、と背中からいきなり放り出されたら、途方に暮れてしまうでしょう。

 相手に感謝するよりも、「どうやって歩こうか」という不安や恐怖のほうに囚われて、感情的になるのは道理でしょう。

「したくない」に早めに気づいて自分のために対処できたほうが、大きなトラブルに発展することを防ぐことにもなりますし、お互いに苦しくなるような依存関係をつくらないためにも大切です。

 こんなふうに、「したくない」ことは早めに気づきます。

 そしてまた、早めに対処するように努力していけば、「自分が想像しているほどには怖くない」ということにも気づくでしょう。

 ところが「したい」は、すぐには気づきません。

 私たちにとっては、まだまだ、「したくない」のほうが強烈なのでしょう。

 けれどもここでまた、ハタと考えました。

 普通の何事も平穏な状態があって、途中で「したくない」に気づくから、「したくない」という気持ちが強烈に感じるだけなのかも知れない……。

 そうか、その「何事も平穏な状態」こそが「したい」ことなのだと。

「なんだ、たくさん実行しているではないか!」

 あ、そうか。いま、この記事を書きたいから書いているんだ。

 したいことが、できている。

 改めてそう考えると、また少し、自己信頼がアップしたような気分になりました。

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